2016-7-3 未分類

201601A_18

2007年1月17日、
当時10歳で小学5年生の風見しんごさんの長女(えみる)が通学時、
2トントラックにはねられ、病院に搬送されたが死亡した。mig荒々しく部屋のドアが開く音と同時に妻の叫ぶ声がした。

「えみる!事故!えみる!」 
ご近所の方が知らせに来てくれていた。
「気をしっかり持って下さい!」何の事だか、意味がさっぱりわからなかった。

妻と共に事故が起きたというその横断歩道へ向かって走る僕の脳裏に浮かんだのは、手か足を折って、傷口から流れる血を押さえながら道端にへたりこんで大泣きしているえみるの姿だった。(かわいそうに…。痛がってるかな。「大丈夫だよ」って抱きしめてやらなくちゃ)

交差点までの距離は150メートル。

100メートルほど直線道路を走り、

角を曲がったとたん、現場の交差点の中に
1台の大きなトラックが止まっているのが見えた。
どうやらえみるはあのトラックにはねられたらしい。
僕は反射的にどこかで泣いているはずのえみるを探した。だが、えみるの姿はどこにもない。誰かに教えられたのか、そのへんの記憶はあいまいなのだが、
なぜだか僕は必死になってトラックの下をのぞき込んでいた。
両足が―普通では考えられない向きにへしゃげた娘の足が見えた。
トラックのタイヤがえみるの腰のあたりに乗り上げたままになっている。

とにかくここから出してやらねば。
僕は思わずトラックを1人で持ち上げようとしていたが、
相手は荷物を満載した3トントラックだ。

当然のようにビクとも動かなかった。

あまりにも無力な自分に、全身から力が抜け、

手がプルプルと震えてきた。

そんな中、僕が見たのは―、
「えみる、頑張れ、えみる」と叫びながら果敢にも
エンジンがかかったままのトラックの下に潜り込んででも我が娘を救おうとする妻の姿だった。

「エンジン早く切れよ!」

「救急車、まだ呼んでないのかよ!」

たくさんの人たちの尋常でない叫び声があちこちから響いた気がした。
ジャッキを使っている時間はない。
気がつくと、20人近い人がそこに集まってきてくれて、
みんなで協力して娘をトラックの下から引き出してくれた。

頭蓋骨を骨折していたので、内出血がひどく、顔は腫れ、
うっすら開いた目は出血で瞳の中まで真っ赤になっていた。

医者でない僕でも娘が瀕死の重傷であることはすぐにわかった。

 

その光景はまさに地獄だった。

それからのことは断片的にしか記憶していないのだが、
救急車に乗り込み、

病院の搬入口に運び込まれていくえみるを乗せたストレッチャーのあとを、
祈るような気持ちでついていったことだけは覚えている。
きっと途中で何度も転んだのだろう。
妻と僕の身体にはたくさんのアザが出来ていた。

事故を起こしたトラック運転手は、まさかの大手スポンサー関連会社勤務だった・・・

 

病院に搬送されたが、頭がい底骨折で死亡した。

夫妻は

「うちの子には何の非もないのに、なんでこんなことになるのか。なんでこんなことに…」と、

娘を失ったショックで病院では立っていることもできず、床に泣き崩れていたという。

 

家族を守る決心

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長女の死化粧担当者に

「娘は花嫁になるのが夢だったので、死化粧ではなく、花嫁化粧でお願いします」

とお願いした。

通夜の場で会見を行い、

涙を流しながら「娘と飲酒をしたかった」などと述べた。

ただこの会見の中 で「喧嘩嫌いだった長女のため」として加害者への思いは一切述べなかった。

長女の葬儀が終わって普段の生活に戻り、時間が経っても娘が亡くなった喪失感は薄れるどころか、深まった。

毎日24時間、亡くなった長女のことを想い悲しみに暮れるばかりで、妻や次女への心配りが全くできなかったという。

当時3歳だった次女が、異様な行動を取るようになった。

テレビ画面に映っているビデオの姉に向かって、「ごめんなさい」と頭 を下げて謝っていた。 

自分が悪い子だから、お姉ちゃんが帰ってこないと思っていたのだ。 

また名前を聞かれると、亡くなった姉の名前で答えるようになってしまった。 

「お姉ちゃんが居なくなったのは、自分の責任」、

「自分がお姉ちゃんになれば、みんなが明るくなってくれる」。 

幼い次女が自分の行動について 話した時、

風見は“今、守らなければいけない大切なもの”を次女に気付かされ、全てを受け入れて残された家族と一緒に生きて行く決心ができたそうだ。 

 

「いまでも毎晩ベッドに入って目を閉じると、最初に事故の現場の映像 が出てきます。

僕が現場に駆けつけて目にした光景が……。 

家内も同じだと言います。

でも、いまは『これではいけない。前向きに生きよう』と心に決めました。

えみると天国で再会したとき、

『パパ、よく頑張ったね』と言ってもらえるようしっかりと生きていかなければいけない、と思うようになったからです」 (風見しんご)

訴え続ける命の大切さ

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長女亡き後は、交通事故死亡者をなくすために、各地で交通事故や命の大切さについてを語った講演と、警察等が主催する交通安全関連のイベントや啓蒙活動への参加を盛い、自ら長女の実名を挙げることで、事故の悲惨さを訴えている

なぜ風見しんごさんの娘が?トラックの正体とは?

mig

轢き殺したトラックは「花王ロジスティック」のトラックというウワサがある。

 

しかし花王はメディアのスポンサー大手でマスコミは最後まで名前出さなかった

 

判決はたったの「2年」

mig

 

業務上過失致死罪に問われた元会社員の男には禁固2年の実刑を言い渡した。

この判決について刑が軽すぎると非難が殺到した。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

記事引用:http://share.ciao.jp/2015/09/16/shingo/

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